生きているとだんだんとモノが増えていきますよね。
断捨離ブームが起きたのはだいぶ前ですが、今ではシンプルライフ、ミニマリストなど様々な考えが生まれてきていて、生き方の一つとして定着してきています。
こういった背景には情報が多すぎたり、モノがあふれかえっていることで、自分を見失ってしまったり、大切な決断ができなかったり、毎日に忙殺されて疲れてしまうといった現代人ならではの悩みが隠れている気がします。
禅僧のお坊さんは昔からあまり多くのものを持たないようにしてきたそうです。誰からからもらったものをまた他の人にあげたり、断捨離のプロのような生き方をモノが少ないときからされていたということになります。
今日はそんなモノや情報にあふれた私たちにシンプルな生き方を教えてくれる禅語を一つご紹介したいと思います。
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下戴清風
読み方:あさいのせいふう
意味:重い荷物を下ろした船は軽やかに進んでいく
「下戴(あさい)」というのは「荷物を運んで下ろす」という意味です。荷物をたくさん積んでいる船はゆっくりと進みますが、荷物を降ろして軽くなった船はドンドンと軽やかに進んでいくことができるという意味です。
何やら断捨離やシンプルライフに通じる考えですね。
ここでいう積み荷というのは、はたして私たちが購入したり、人からもらったものばかりでしょうか?
止まらない物欲に歯止めをかけられるか?
私たちの物欲にキリがありませんよね。
購入前は色々と悩む割には購入したあとに、購入したという満足感だけでそのモノ自体はたいして使わなかったり、他の人がもっているものに目移りしてしまったり。
私の場合はipadやパソコンなどのガジェット類がこれに当てはまります。買うまでは「どのモデルがいいか」「どこまで値段を出すか」、などさんざん悩んで買ったものの、喜びは一時的で長続きしません。
結局買う前は想定した使い方をせず、他の人のものがよく見えたり、新しいものがまた欲しくなったりするので欲というのは本当に困ったものです。
まず、人と比べないことというのは大事だというのは頭ではわかっているはずです。金持ちと私のような質素な暮らしをしている人では出せる金額も違いますし、他に優先してお金をかけるべきものがあったら我慢も必要です。人と比べないことが大切なのに、時として私たちはそれを忘れてしまいます。
また、気を付けるべき点としては「自問自答してみる」ということです。「それは本当に必要か」ということを問い続けることでしか物欲を止めることは出来ません。
脳みその中はすでに「それがほしい!!」という欲にまみれていますので、「必要かどうか考えても、購入することを正当化するアイディアしかでてきません」。ここでの自問自答はかなり深い部分まで考えて、他のものに同額のお金を使えるのにそのモノを優先して買う必要があるのか?という視点で「自分にとって大切なものの中で比べて判断」する必要があります。
ようするに、人とは比べないけど、自分の中の他のものとは優先して考えるという思考が大切になってきます。
モノ以外にもたくさんの重荷を背負っている?
モノ以外にも私たちはたくさんのものを背負って生きています。
長く生きるほど色々なものを背負わざるを得ません。
家族、家庭などの親密な人間関係
仕事の部下や業績、自己責任
誰かの死や家族の介護
何かトラブルに巻き込まるなど解決が必要なこと
自分の犯した過ち
色々な人間関係や、今まで犯してきた過ちを私たちは重荷として背負っていきていきます。
それがやる気や、努力の原動力になることもたくさんありますが、一方で負担が大きすぎたりするととたんにそれが重荷になって元気がなくなってしまったりします。最終的に心を病んでしまったり、病気をしてしまったり心身に支障をきたします。
この「下戴清風(あさいのせいふう)」という言葉は、私たちはもうちょっと重荷をおろしていいのではないか?ということを考えさせてくれます。
重荷を一人で背負わなくていい
とにかく心身を病んでしまうほど一人で抱える必要はありません。
一人で抱えないために大切なことは3つあります。
・満足すること
・人と比べないこと
・見栄を張らないこと
この3つはとても大切です。ある程度で満足しないと欲は尽きません。また、人と比べてもいいことは一つもありません。そして見栄を張らないことです。
よく見られたい、恥ずかしい、恥だと感じる、かっこわるい、ダサくみられる。そういった見栄を張る必要は一切ありません。
また一人で背負う必要もありません。もし自分の隣にパートナーがいるのであれば、もし自分に頼りになる家族がいるとしたら、その人と一緒にシェアしましょう。重い荷物は何人かで一緒にかつげば軽くなります。
最後に
なんだか重荷を下ろすと聞くと、すべて投げ出して逃げると言うように聞こえますが、自分の考え方を変えるだけで重荷を軽い荷物に変えることもできますし、誰か身近にいる人がいれば一緒にかつぐこともできます。
そういった意味では「逃げる」ということがすべてではないということになりますが、どうしても難しいですときは逃げるべきです。
どうしようもなく、今の環境、今の人間関係から逃げ出したくなるほどつらかったら。そういう場合は堂々と逃げましょう。
あなたのことを誰も知らない世界がこの世には五万とあります。今いる場所から逃げて新しい場所にいくべき時もあります。
ここまでの状況になることは稀かもしれませんが、いざというときはすべて投げ出して逃げてもいいんだと思っておくことは大切ですね。
余談ですがこの言葉は「如今放擲西湖裏、下載清風付与誰(にょこんほうてきせいこのうち あさいのせいふうたれにかふよせん)」という一文からきている禅語です。
また、下戴(xiazaiシャザイ)というのは中国では「ダウンロードする」という意味で使われているのであまり海外では通じないかもしれませんね。
それではまた次回、素敵な禅語をお届けできれば幸いです。
keiky.