みなさまお元気でしょうか。元気はないけど毎日なんとか生きられていますでしょうか。
今日は「同事」という禅語をご紹介します。「同時」ではなく「同事」です。
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一人ぼっちだけど独りぼっちではない
まず大前提として全員「一人ぼっち」です。
人格や性格は自分だけのものですし、誰かと共有しているわけではありません。あなたも私も全員一人の人間として存在しています。
あなたの息づかい、あなたの時間、あなたの手足、あなたの感情。
すべてあなただけのもので誰もそれを犯すことはできません。
じゃあ孤独を感じる方の「独りぼっち」はどうでしょうか。
友達がいない、家族がいない、子供がいない、話を聞いてくれる人がいない、わたしは独りぼっち。
そう思ってしまうときってありますよね。
自分だけがまるでこの世界から切り離されてしまったかのようにとても孤独を感じることってあります。
「同事(どうじ)」の意味
孤独を感じる時。
そんな時に思い出す禅には「同事」という言葉があります。
【意味】
私たちは本当の意味で一人ではなく、同じ気持ち・同じ環境を共有している存在である。
相手と同じ立場に自分自身も立つ事。相手のことを理解しようとすること。「事を同じくする」ということ。
単純に時間を共有するという意味ではありません。たまたまあなたと私が同じ時代に生きているというだけではなく、私たちはすべて同じ環境を共有しています。
それが国単位、地球単位、地域単位、家族単位など、様々な単位で切ることができますが、それらの単位の中で「事を同じく」過ごしているのが私たちです。
私たちは1人ではありません。
一人ひとりの個人ですが、「悲しいのは自分一人」「苦しいのは私だけ」「自分だけが大変な思いをしている」と思い込んでしまいますが、そんなことはありません。
楽しみも苦しみも分かち合える人はいます。
ましては今やテクノロジーの発達で人と人はとても繋がりやすい。
自分をさらけ出してまだ見ぬ人と親友になれるかもしれません。
死ぬほど辛いことに直面することがこれからわたしにもあるかもしれない。
でも一人ではありません。
あなた以外の人も独りではない
視点を自分に向けると、あなた自身が決して独りぼっちの存在ではなく、様々な形で社会とかかわっていることがわかります。
一方であなたの周りのひとはどうでしょうか?
道ですれ違った老人、若者、子供。あなたの視界にすら入っていない大勢の人々。彼らはモノでもなく、一人ひとりが感情をもって生きている人間です。
お店でたまたま一緒になった嫌な店員、嫌な客。会社や家庭でストレスを感じる相手との人間関係。そういったあなた以外の人たちもそれぞれ一人ひとりが生きている人間です。
たまたま「事を同じくして」いあわせた人たち。
そんな相手の立場、相手の視点に立って考えてみることも大切です。
お互い頑張って生きているわけですからぶつかる必要はないはずです。お互い自分だけのことを考えたり、お互いを避ける必要はないはずです。
あなたも私も他人ですが、一人の個人です。
何かあったら助け合えたらいいですね。
Keiky.