紅茶が好きになって色々お茶について学ぶことが楽しくなってきて世界が広がった気がしています。
もともとは具合が悪くなって大好きだったコーヒーが飲めなくなったあたりから紅茶が好きになってきたのがきっかけでした。ストレートティーはなんともさっぱりしていてお腹にもやさしいし風邪予防などに効く殺菌効果もあるといういいこと満載の飲み物だということがわかり、家でも会社でもたくさん紅茶を飲んでいます。
紅茶、緑茶、ウーロン茶がすべて同じ葉っぱからできていて製法が違うということをこの間記事に書かせていただきましたが、今日はちょっとお茶の歴史について少しだけ振り返ってみたいと思います。
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■ お茶のかんたん年表
いろいろな文献やサイトを見ながら抜粋だけさせてもらって概略だけでもつかもうとおもってまとめてみました。多少前後しているところがあるかもしれませんがご容赦ください・・・。
お茶の起源は中国ということで、中国からお茶の物語ははじまります。それがオランダにわたり、やがて英国、そしてアメリカにわたるというのが大まかな流れです。
- 589年 中国でお茶が貴族の間で普及。
- 815年 日本後紀という書物に日本初の喫茶の記録
- 1559年 イタリア人が中国の喫茶情報を欧州に紹介
- 1610年 オランダが中国茶をヨーロッパに持ち込む。
- 1662年 キャサリンがイギリス国王チャールズ2世と結婚した時にお茶を持ち込んだことでイギリスで大ブーム。
- 1672年 オランダとイギリスが戦争。イギリスが勝利しそれまで独占していたオランダからお茶の権利を独占
- 1840年 茶とアヘンの取引を背景にアヘン戦争。イギリス勝利。
- 1870年代 インドネシアやインド・スリランカ・ケニアなどどんどんお茶の普及が進み、第二次世界大戦後、お茶の生産はアフリカ諸国に広がっていった。
※知識が浅い私が書いているので正確性を欠きますので詳しく知りたい方はちゃんとした文献を調査されることをお薦めします!
とまあ簡単に歴史を振り返ってみると、実はイギリス発ではないということと、結構お茶をめぐって血みどろの戦争が勃発していて、お茶が世界の歴史を作ってきたといってもいいくらいな印象を受けます。
オランダが独占していて気に食わないイギリスはオランダと戦争して権利を独占し、中国からガンガンお茶を輸入していたら貿易のバランスが取れなくなって、代わりに薬物であるアヘンを輸出して結果的に中国とイギリスが戦争になりまたイギリスが勝利するという流れを見ていると本当にお茶は世界を動かしてしまっているなあと感じます。
■ お茶のはじまりはやはり中国から
さきほどの年表を見ていて思うのですが、お茶をもっとも長い時間独占的に味わっていたのは中国人ですね。アメリカが生まれるはるか昔、ヨーロッパの人たちが知る由もない世界で中国人がお茶を楽しんでいたという意味では最先端をいっていたといえます。
600年代ということは今から1400年以上前のことですからすごいことです。最初は薬として使っていたのがはじまりですが、7世紀くらいになると嗜好品的に変わってきてお茶の葉をあぶってお湯をかけて他の材料と一緒に煮るスープにして飲んでいたようです。当時も最先端を行くような人がいて「これめっちゃうまいよ。試してみ」という感じで広まっていったのかもしれません。
今でいうブログや電子書籍でお茶に関する専門書として「茶経」というお茶に関する本が書かれておそらくお茶が広まるのに貢献したに違いありません。貴族たちの間で「イケてる飲み物」として普及して日常的に飲むようになったのかもしれません(勝手な想像ですけど)
■ 中国の流行をキャッチしたオランダ人
その中国のお茶を発見したのがオランダ人。
今でいうインスタ映えだったかどうかは知りませんが、「いいね!」をして西欧に初めてお茶を伝えたのはオランダの東インド会社で、時代的には1610年ということで日本は江戸時代です。
オランダ人が飲んで「これはやばい」といって持ちかえったのは紅茶ではなく緑茶で、当時オランダは中国やインドネシアとの東洋貿易を独占的に行っていたようで、同じく東インド会社を作ったイギリスはやむを得ずインド貿易に重点を置いていたというのが実態のようです(のちのちインドでアッサムティーが生まれるから歴史って面白い)
■ オラオラ系イギリス人による覇権
オランダに先を越されてしまったイギリス。気に食わないオランダに対して喧嘩をふっかけて英蘭戦争を起こして勝ったイギリスは中国貿易で優位を強引に得て独占的な地位を構築しました。
なんというか紅茶の発祥的な印象を持ちがちなイギリスですがオラオラしただけのことだったとは・・・。
イギリスは中国から輸入したお茶が流行し、さらに発酵させることで紅茶を作り上げイノベーションを起こしました。この点はすごいですね。中国のお茶を発酵させることで新たな飲み物を作るというのは新規性があって、紅茶の歴史を作ったのはイギリスということは言えるのではないでしょうか。
紅茶を開発するだけではなく、イギリスの冒険家がインドを冒険中にアッサム種の茶葉を発見して中国種とは違うということがわかったということでそれまでインドでもっていた権益もフルに活かすようになるあたりははやり世界の大英帝国といえるかもしれません。
■ そしてアメリカへ
18世紀にはとうとうアメリカでも流行しだします。当時アメリカはイギリスの植民地でしたが、アメリカではやりだすとイギリスはアメリカに高額な税金をかけて、それでボストン茶会事件という事件が起きてボストンに停泊していた船がアメリカ人に襲撃されお茶が海に捨てられるというような事件が起きることになります。そしてアメリカは独立戦争へむけて動いていくということになります。
このように歴史的には中国ではじまったお茶がオランダ、イギリス、アメリカと渡っていくわけですが、1951年に建国された中国では毛沢東の文化大革命(1966~1976年)でお茶は禁止され、台湾や香港でお茶文化は発達したといわれています。そういう意味では台湾茶は比較的新しいお茶の飲み方といえます。
■ 日本ではどんな感じで発展していったのか
中国から日本に緑茶が持ち込まれたのは奈良時代から平安時代といわれていて、それが日本では独特の発達を遂げています。
イギリス人が紅茶を開発するはるか昔に日本は中国から伝わってきた緑茶という文化が日本独自の文化として発達していくことこになります。イギリス人が作った紅茶は明治時代にならないと入ってこなかったようで、それまでは緑茶文化が日本の主流ということになります。緑茶文化の発展も調べてみたら面白かったのですが、きりがないのでご興味がある方は末尾のリンクを参照ください。
紅茶がはじめて日本で普及させたのはあの明治屋。「リプトン紅茶」の輸入販売をはじめたのがきっかけといわれています。イギリスで最初にお茶が普及したのと同じようにまずは貴族など上流階級を中心に紅茶が流行するところから日本もはじまってます。
それまで輸入だった紅茶を三井紅茶が国産化に成功させたのが1972年ごろのことのようです。今では「日東紅茶」と名前を変えてますが、国産化が進んだことで普通の家庭でも気軽に紅茶が飲めるようになったということです。
自動車や化学技術でもそうですがすべてヨーロッパが当時は最先端だったのでまず輸入からはじまり、国産化というの流れがどの業界でもあったと思いますが、紅茶も同じようにまずは輸入からはじまり、国産化という流れをたどっています。
■ 世界の歴史はお茶の歴史
今回はお茶の歴史について少し調べた内容をかみ砕いて書いてみました。いかがでしょうか。世界の歴史がお茶とともに出来上がってきた来たと感じることができたのではないでしょうか。
私は最近ストレートのダージリンにずっとはまっていて、フォートナム&メイソンとか、トワイニングの紅茶を愛飲していますが、その紅茶の裏にこんな歴史があったとは思ってもいませんでした。
世界でだれも知らないところでこっそりお茶を何年も楽しんでいた中国人。それに気づいたオランダ人とあとから妬ましくおもって全部総取りしたイギリス人、そしてアメリカの独立運動にもつながるような流れは本当に歴史を感じることができます。
毎回お茶を飲むたびにこんな歴史を思い出したら何ともおいしい一杯になりそうです。
そんな紅茶の入れ方や種類、おススメのダージリンの茶葉について記事を書いたので以下のリンクからよろしければ遊びに来てください。
また、緑茶・紅茶・ウーロン茶はすべておなじ種類の茶葉から作られますが、どういった製法の違いあるのかということについてもざっくり調べた内容も書いているのであわせて以下もお読みいただけたら幸いです。
[学ばせていただいた参考サイトリスト]