自分がいま幸せと感じることができるか。
そんなことを考えるときにいかに自分の頭の中が不安、不満、心配事、悩み事、コンプレックスなどであふれていることを痛感します。
自分がいま悩みを抱えていたり、心配事があったり何かうまくいっていないとそれで頭がいっぱいになって憂鬱な気持ちになりますよね
もしくは成功している人や、人生充実してアクティブに活動している人をみていまの自分と比べてしまって自分はそんなことできないと思ってしまったり。
どうしてもうまくいっていないとこのように考えてしまっていまある幸せを忘れてしまいます。
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■ 失ってからしか気づくことができない不幸せ
人間の脳みそというのは本当に貪欲です。いまあるものを当然あるものと考えてしまってそれを失うまで気付かないという経験は誰しもあるのではないでしょうか。
風邪を引くまで何も考えず生活できるありがたみはわかりません。口内炎ができたり、指を怪我したりするまで
いかに体のその部分にお世話になっているかなんてことは考えることもありません。
家族が死んでからでないといかに自分が世話になっていたか、その人の存在が大切だったかなんてことは考えもせず毎日ただ疎遠にすごしてしまったりします。言いたかったけどいえなかったこともたくさん出てきたり、もうちょっと優しくすればよかったと後悔することもあります。
失ってからしか気づけないというのはおろかなことですが、さらに人間は一度失って痛い目を見たにもかかわらず、例えば風邪がなおったらそれを改善することも忘れまた栄養や睡眠を疎かにしてしまったりして同じことを繰り返してしまいます。
忘れるというのは生きる上でとても大切な脳の機能ですが、幸せであることやいまあるものに感謝することすら忘れてしまうのは勿体無いことです。
■ 幸せの因子は自分の中にある
幸せというのは自分がなんの根拠もなく感じる幸せと、人と比較して自分の方が上だと思う幸せと二つの幸せがありそうです。
あの人にくらべていい顔立ちだとか、あの人より金持ちだとか、あいつより地位は上だとか、そういった人と比べて幸せを感じるというのはあります。人と比べて劣等感を感じる逆で、人と比べて優越感に浸るような幸せは誰しも思うことがあるはずです。
心の中ではダメなことというのは誰もが理解していますが、心の中で思ってしまうことがあるのではないでしょうか。「あのひとよりまし」とかそういったことをあまり考えるのは良くないと知っていたとしても無意識に思ってしまうことがあるはずです。
一方でまわりとは関係もなく、なんの根拠もない幸せを感じる力というのもあります。
自分が思い込んだり、納得したり、心地よいと心から思えることで幸せを感じることもあります。
子供の笑顔や一緒に過ごす時間、パートナーや子供との肌の触れ合いや手から伝わってくる温もり。疲れ切った時に体に染み渡るコーヒーや紅茶を飲無一時。夕日やきれいな景色を見たり、青空のしたで気持ちのいい空気を吸ったり。
そういったちょっとしたこと、普段考えないことに幸せを感じるというのは、じぶんの心の問題であって誰かとくらべて感じる幸せではありません。
■ 人と比べる幸せも考え次第では悪いことではない
前述したような、人と比べる幸せというのはあまり良くない印象をもつかもしれません。
「あいつよりまし」「あの人より上」というのはあまり良い他人との比較ではなく単に優越感に浸っているだけです。
それでは人と比べるのが必ずしも良くないかというとそういうったことはありません。ちょっと発想を変えて「足るを知る」と考えることで比較することも良い考え方につながります。
いまご飯を食べられること。子供にイライラしたり子育てに疲れてしまうことはあるけどそれ以上に愛情やパワーをもらっていて大切な存在であること。字をかけること。目が見えること。ものが買えること。水が豊富にあること。
そういったものがない人も世の中にたくさんいます。だからといって「〜よりまし」と思うのではなく、今あるものに感謝するという考え方をすることが大切に思えます。
■ 地位的なしあわせと非地位的な幸せ
この間図書館で読んだ雑誌AERA kidsの中に慶應大学の社会学やシステムデザインの専門家の前野先生の「幸福」に関する対談記事があって同じようなことが書いてありました。
地位的な幸せとは冒頭に書いたように人と比較することで幸せを感じる幸福です。非地位的な幸せとはそういったものが関与しない自分の考え方一つで感じられる幸福です。
地位的な幸せの代表格は例えば社会的地位、私財、学歴、所得など。
非地位的な幸せの代表格は健康、自由、愛情、家族との時間などがあります。
わたしとしてはウェイトは非地位的な幸せにおいておきながら、それをサポートするようにn「足るを知る」的に地位的な幸せを少しだけ感じるくらいが良いバランスではないかと思っています。
町ですれ違った庶民的な家族をみて、「自分の方が高級な服を着ていて裕福」と思ったとしても、どちらの方が幸福かなんてわかりません。その庶民的な家族は笑顔がいっぱいで服なんて全然気にならないくらいの幸せいっぱいの家族かもしれません。
このように人と比べる地位的な幸福ばかりに依存していると幸せはどんどん逃げていってしまいます。
じぶんが今ある幸せを感じて心を整えて毎日過ごしたいものです。自己肯定感にもつながる幸せを感じるこころ。小さなことにも幸せを感じられるように自分を育ててあげたいです。
Keiky.