人を羨んでしまう。
そんなことをしてしまいがちな時というのはいろいろあるものです。
例えばこんなことがあったりします。
- 会社で自分よりバリバリやって人一倍努力して成果を出しているとてもまねできない先輩。自分よりも高い業務スキルをもっている後輩が自分が気にしがちなことを気にせず爆走している時。
- 既に長く役員を務めて金銭的にも余裕があって仕事をそこまで根気入れてやっていない役員が楽をしながら流して仕事をしていてこれから逆に先が長い自分が真剣になりすぎていてばかばかしく思えてくるとき。
- ネットで見るからに稼ぎまくっているYouTuber。株式投資で成功して悠々自適な生活をしている人。アフィリエイトや情報商材などちょっと怪しげではあるけど商売で成功している人。自分で会社を作って売却してエンジェル投資家と称して生きていくお金には困らなさそうな人。
- カンブリア宮殿、プロフェッショナル仕事の流儀、ガイアの夜明けなどのテレビ番組をみたもき。ホリエモンやメモの魔力の前田さんなどバリバリ苦労もして大成功を収めている人、何かに特化した職人の人生や誰かのために頑張っている仕事人をみたとき。
自分の心が元気な時は単純にそういった人をみて「すごい人だなぁとか、真似できないから尊敬するなぁ〜」というように思える。
一方で比べることが意味がないということは頭では理解していても、自分が弱っていたり、なかなか前進していない時はなかなか素直に尊敬の念につながらないこともあるものです。そういった弱っている時にはどうしても自分のダメさと比べてしまうことがあります。
そういったある意味で成功した人たちが昔だったり、陰でいまも行っているとてつもない努力を脇において比べてしまうというのは自分の煩悩でしかないと思っています。そういったものからなるべく距離を置いて、なるべく「自分は自分」という考えでいきたいものですが気持ちが弱っている時というのはなかなかそれも難しいですね。
—— 〻 ——
そんな弱っていて人と比べてへこむようなことをしてしまう時、とても頼りになるフランスのロマン・ロランという作家の言葉があります。
それはこんな言葉。
「英雄とは、自分のできることをした人である。ところが、凡人は
そのできることをしないで、できもしないことを望んでばかりいる」
この言葉はぼくに冷静さと生きていく力強さを回復させてくれます。
禅の考えにも通じるところがありますが、今という時間に集中するということがいかに大切かということをズバッといってくれるとても気持ちのいい言葉です。
自分でできることをしないで、既に成功した人と比べているなんて凡人がすることだとストレートに言われてしまうとなんだかハンマーで頭をガーンと殴られたような気持ちになって、「今」に集中できるような気がしてくるとても力強い言葉だと思っています。。
まず自分ができることを一生懸命やっているのか。自分ができることを本当にやりきっているのか。そんなことを自分に問うトリガーとしてこの言葉は私の中で機能しています。
Keiky.