禅語に触れる

人やモノに執着しないようにする [本来無一物]

何かを失うこわさ。

せっかく努力して積み上げてきたことや、今までの人間関係。仕事の積み上げ。地位。稼いだお金。そういったものが無くなってしまうと自分の拠り所が崩れ去るようになくなるような気がしてとても怖くなります。

また人間は今あるものについては「既にあって当然」とおもってしまってそのありがたみを忘れてしまいます。自分が得たものは維持される前提で考えてしまってさらに「もっともっと」と欲深くなってしまい、今あるものに感謝することがなかなかできなくなってしまいます。

失ってはじめて今まであったものの大切さを知ることがあります。例えば風邪をひいたときにはいつもは何も気にせず生活できるありがたみを感じます。ところが回復するとすぐそのありがたみは忘れてしまうものです。何か怪我をしたときも同じかもしれません。口内炎ができて食べるのがこんなに大変かと思っていたのに治ってしまうとまた無理な生活やアンバランスな食事をしてしまって、今ある幸せというのを忘れてしまいます。

本来無一物(ほんらいむいちもつ)

禅の言葉で本来無一物(ほんらいむいちもつ)ということがあります。

個の言葉は「人間は生まれてきて本来、何も持っていない」という意味です。 ここでいう何もないというのは衣服を着ていないとかそういった物質的なことだけではありません。心についても本来「無」であるということをいっていて、人間はもともと何ももっていないということを教えてくれています。

生きていく中でいろいろな経験をしたり、言葉を覚え、感情を抱き、人間関係や仕事やお金を得るようになりいろいろなものを身に着けて積み上げていきます。それらは生まれたあとに持つようになったものでそういったものが心の支えにはなるかもしれませんが、墓場までもっていくことはできませんし、もともとの無に戻るとしたら執着している方が時間がもったいないということになります。

頑張って積み上げてきたものほど失う怖さをおぼえます。 さらに欲しいという欲にかられてドンドンと欲深く執着するようになってしまいます。

そんなときにこの言葉は本来誰もが「無」なのだから執着するのをやめようと思い出されてくれます。心に沸いたことを全て捨ててしまう。何かを失ったら忘れてしまう。もともと持っていなかったんだから何も変わらない。そう思うことが心をやすらかにする秘訣の一つかもしれません。

なんだか生きていく中で我々はたくさんの荷物を持ちすぎなのではないかと思うことがあります。人間関係や、心をかき乱されるストレスや痛み、お金や悩み事など実に様々なことを持つようになってしまっています。

無に戻るとしたら今いらないものはすべて捨てるクセを付けて大切なものだけに囲まれていきたいとわたしは思います。なかなか意識しないとすぐ執着心が生まれて手放すことが難しいですが、モノや感情もネガティブなものはすべて流してしまって捨ててしまいましょう。過去や未来について考えることをやめて今だけでに集中して生きる。

なるべくそうありたいなあと最近改めて感じています。

Keiky.