何かを決めないといけない時、とても悩みます。
特に選択肢がたくさんある時と、あまり選択肢がない時の2パターンの場合、意思決定が難しくなります。
今回ご紹介する禅の教えからは何かを決める時に心に留めておくと気が楽になることをお伝えしたいと思います。
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■ 選択肢が多すぎる時
選択肢が多いと、選ぶ手間がとてもかかります。その理由は比較するポイントが多すぎること、そしてそれぞれの選択肢をとったあとにどういった結果が起きるか?というシミュレーションが大変になることにあります。
あまりにパターンが多すぎると脳が処理しきれず、最悪の場合は盲目的になってしまう危険性があります。
「頭がおかしくなりそうだから考えるのを放棄、えーい、どうにでもなれ!」
こうなってしまうと、正常な判断ができなくなってしまうため、本当は少し考えればわかる間違った選択肢をとってしまい失敗することも。
考え続けられる体力はある程度人の性格や個性によるため人それぞれ違います。それぞれ自分が考えられる限界以上に脳みそを使って選択肢で頭をパンパンにしてしまうとこのようになってしまう懸念があるのであまり良いことではなさそうです。
やれることとしては、選択肢をある程度ジャル分けすることです。たくさんある選択肢に見えるかもしれませんが、実は3択くらいまで大枠でくくれるはずです。一度冷静になって選択肢を大きなくくりでまとめてみると判断がしやすくなります。こうして選択肢を絞ることで一つずつの選択肢を深掘りしてかんがえられるようになります。
■ 選択肢が2択の時
逆に選択肢が少なすぎることもとても選択をすることに対して脳に負荷がかかります。
AかBしかない。どちらを選ぶべきか。絶対に選ばないといけない、逃げられない。
こんな状況に置かれてしまうととてもストレスを感じるものです。どちらかの選択肢を選ばないといけないのですが選ばないといけない時、選択することを避けがちだったりしませんでしょうか。
旦那や奥さんに判断を委ねて自分では決めないようにすることでいざというとき相手を責められるポジションをとる。
上司の影に隠れて重要な意思決定は委ねてしまって、ここぞとばかりに自分は部下であるというポジションをとって選択することを回避する。
こんなことって無意識かもしれませんがあるのではないでしょうか。
このように選択肢が少ない時もとてもストレスがかかり、人間にとってはプレッシャーを感じるシチュエーションになります。
■ 禅の教え「両忘(りょうぼう)」
今日の禅の教えは「両忘」です。
これは禅の言葉で、曖昧さが大事であるということを教えてくれる言葉です。
両方忘れるということは、両方ある二つの選択肢を忘れようということです。
ようするに、二者択一にしないということが心を軽くしてくれて健全な精神を保てるということを意味しています。
どちらの選択肢にも執着しないということができれば、どちらでもいいと思える心があれば悩みや不安は薄れていきます。
選択肢に正解はないというのは半分本当ですが、あの時別の選択肢をとったほうがよかったと思えることもあるので半分は嘘です。
選択肢には正解がある場合もありますが、大切なのはそれを事前に知る方法はないということです。
正解はあるかもしれないけど、それを今知ることができない以上は間違った選択をした自分の選択を許せる心が大切だということが大切です。
どっちを選んでもそのときはベストな選択をした。
そう思えることが自己肯定感にもつながりますし、過去はやり返せません。あのときに愚かな選択をしたと思ったとしても変えることはできません。
変えることができるのは今の行動しかありません。
なので今できる選択肢について真剣に考える一方、どちらの選択肢が正確であると考えて自分にプレッシャーを与えすぎないことです。
選択肢を比較することもやめて、自分の心に素直に従ってみる。
選択肢があることすら忘れてしまう。自分の直感でいい。
そう思って決めていけばいいのです。
子供や家のこと、家族のことだと余計に悩んでしまうことが多いですが、自分のためではなく、その家族のために意思決定をしているのか?ということさえブレなければよいのです。
自分の保身や欲のためでなく相手のためを思って意思決定しているか。
その点だけ間違ってしなければあとは選択肢の沼のことは忘れて考えることを忘れてしまいましょう。
keiky.