哲学

近代哲学 3/5 イギリス経験論 [哲学11]

近代哲学をサラッと理解するための3回目のまとめになりますが、今回はイギリス経験論について簡単に触れておきたいと思います。主な登場人物はロック、バークリー、ヒュームの3人です。

近代哲学は4つのカタマリだけ理解すると良いと思います。大陸合理論、イギリス経験論、社会契約論、ドイツ概念論の4つ+有名なカントでだいたいの大枠だけで大丈夫です。

それではさっそくイギリス経験論についてみていきたいと思います。主にイギリスで議論されていた哲学のジャンルになるのでどんなことを議論していたのでしょうか。

■ とにかく経験がすべてのイギリス経験論

言葉の通り、「経験」にスポットをあてたのがイギリス経験論のテーマでした。一つ前の記事では大陸合理論について説明をしましたが、大陸合理論はデカルトなどが有名ですが、理性的に自分の頭の中で考えることで世界を認識しようという流れでしたが、このイギリス経験論はとにかく経験を重視する考え方でした。

1642年当時のイギリスでは宗教改革が進み、国教会と清教徒たちが対立し、王政復古という社会革命も経験していく中で世の中はとても乱れていきます。最終的に1688年には名誉革命がおきてイギリス議会の権利を認める国王をオランダから呼び寄せるという形で血を流さずに革命を実現することができました。

この名誉革命のバックボーンにあったのがイギリス経験論の考え方であり、それをを作り上げたのはロックという人でした。

■ イギリス経験論の祖、ロック

それではイギリス経験論について中身を見ていきたいと思います。

前章で触れたデカルトはとにかく人間が世界をどう認識しているか?ということについて、「生まれつき神の概念や数字の概念などは人間はもっていて、持ち合わせた理性をもとに考えて世界を認識している」というが彼の考え方でした。

それに対してロックの考えでは、様々な概念は「経験」から獲得できるものだとしました。彼の考えでは、生まれた人間は白紙に近い状態で、徐々に経験を通じて様々なことに触れることで白紙のノートに書きこまれ、内省することで概念が生まれるという順番で概念が出来上がるとしました。

何となく個人的にはこの考え方はとてもしっくりきます。モノゴトを経験してそれについて内省、つまり考えて一定の結論を出して概念にしていくという彼の考えがイギリス経験論のベースになりました。

ちなみに余談ですが、黒・白という見たり触れることでわかる概念を「単純概念」と呼び、黒と白を混ぜたらグレーになるというのを「複合概念」と呼んでいます。

続いてロックの流れをついだバークリーとヒュームという2人についても少し見ていきましょう。

■ バークリー:見て触ることで存在を認識できる

アイルランドに生まれて聖職者だったバークリーはアメリカのカルフォルニアのバークリーの地名にもなっている人物です。

彼はロックと同じく人間の知識は経験から生まれるというスタンスをとっていました。彼は私たちがもっている知識というのは見ることと触ることで得られると考えました。わざわざ頭で考えなくてもそこにあるものを触ったり見ることで存在を認識して知識を得ることができます。それでは誰も見てもいないし触ってもいないものは存在しないのか?という反論をバークリーの考えは受けそうですが、その点について彼は「神の中に存在する」という答え方をしたとされています。

神だけがすべてを知覚していて、人間は触ったり見たりすることからいろいろなものの存在を認識できるということを考えたバークリーは「存在することは知覚されるということである」という有名な言葉を残しています。

■ ヒューム:人間は知覚の束である

ロックの経験論をさらに進めたのがヒュームです。彼は「印象」と「観念」という2つのポイントから経験論的にアプローチします。

彼は私たちが何かを認識すること、つまり知覚することというのは「印象」と「観念」という2つのプロセスがあると考えました。まずはじめにあるものを見て印象をもちます。その印象を心中で思い出したり、イメージしたりするものを観念と呼びました。

彼の考えでは、人間というのはこの「印象」と「観念」を繰りかえすことでできる「知覚の束だ」ということを説きました。私たちは色々なものを見たりしてそれについて観念をもっていくということで自分という人間が出来上がっていると考えたのです。

この考えによると、人間というのは非常に曖昧な形で世の中を認識していることになります。経験を通じて得られる知識というのは「常に正しいとは限らない」ので「確からしい」ということしかわかりません。ヒュームは自分を懐疑論者であるといっていたようですが、私たちが認識している世界がすべて完全な世界ではないということを知った上で、それを経験を通じて認識していくというのが彼の一貫した立場だったようです。

■ 最後に

以上がイギリス経験論の大まかな登場人物とそれぞれの考えです。

すべてのものを経験を通じて得られるものと考えるのには正直限界がありますよね。数字の概念や、変化がない事実というものを私たちはいちいち知覚することなく知っているわけですし、すべて「経験」を通じて得られるもので成り立っていると考えるのは強引な気もします。

一方で、それまでのデカルトなどからの流れをつぐ大陸合理論のように、理性などを起点とした考え方よりもより具体的な考え方であるような面もあります。私たちは見たり、触ったりすることで自分の世界を認識しています。

「一次情報を大切にする」というのは今でも大切な考え方です。ネットで見るより実際にその場に行ってみると全然違う印象だったり、その存在自体をより明確に感じることができます。何かビジネスや勉強についても学ぶ場合でも経験というのはかなり大切な要素になっています。

このように理論として完全であるわけではありませんが、私たちが世界をどう認識しているのか、人間というのはどうやって形作られるのか?ということを「経験」ということをキーワードに当時イギリスを中心に議論されていた一連の流れがイギリス経験論と呼ばれています。

それでは、次回は大陸合理論とイギリス経験論に続く「社会契約論とドイツ概念論」の2つについて簡単に触れて最後にカントについてまとめて近代哲学については終わりにしたいと思います。近代が終わるといよいよ最後の現代哲学なので一連の哲学に関するとてもざっくりとした流れについては理解できると思います。

それではまた次回。