禅語に触れる

一期一会で嫌な人間関係も乗り越える [一期一会] 禅の言葉

今さらわたしが書くまでもないほどの有名な禅の言葉、一期一会(いちごいちえ)。

言葉としては有名ですが、日常的に意識していられるか?というのはまた別問題で、ついつい言葉が意味する本質的な部分をわたしは忘れてしまって心の乱れを感じることが多々あります。

一期(いちご)とは、一度きりの人生のことをさしていて、一会(いちえ)とは一度きりの出会いということを意味しています。

すべての出会いは一度きりの人生の中で起きる一度きりの出会いというとてもシンプルで本質的な言葉だと感じます。

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この言葉が本来の意味したいところとしては、一度しか会わらないのだから「その場限りの付き合い」と考えて適当に付き合うことをやめてその縁を大切にして生きなさいという教えです。

せっかく同じ時代にたまたま奇跡的な確率で出会ったらのだからその縁を大切にするというのはとても大切な考えでわたしも普段はそのように考えて「何かの縁だから」と思って大切に付き合うようにしています。

あとあとすごくお世話になる人かもしれませんし、何かをきっかけにすごく仲良くなったり助けられることもあるかもしれませんので。

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ところが人生そういう出会いばかりではありません。

職場の同僚や先輩や上司だったり、近所の人やママ友など色々なとこよに嫌な出会いというのはたくさんあります。

出たくもない飲み会や会合に参加することがあったり、高圧的で品がない職場や上司の下で働くことになったら、好きでもない親戚や苦手な人と接しなくてはならない場面も必ずあるものです。

正直そういったご縁まで一期一会で大切にしろというのは少々考えにくいこともあります。

もちろんわたしもなるべくその人の良いところを見ようとくる癖をつけて付き合うようにしています。なるべくむげに付き合いを拒否するようなことはせず、どうしてもダメな人は自分に害が及ばないようになるべく距離をとって薄く付き合うようにしています。

観察対象として俯瞰してみられる関係であれば気持ちを整理して淡々と接することができますが、距離や関係性が近すぎるとそうもいってられません。

家族だってたまたま家族になっただけですから本来はそれぞれ1人の個人なので仲がいいとは限りません。

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そんなときにはこの一期一会を応用して考えるようにしています。

一期一会とは一回きりの人生で一回きりの出会いなんだから大切にしよう、ということではなく、一回き「なので嫌な奴とも一生付き合うことはない。

こう考えるようにしています。

どうしても受け入れられない人、素行を疑うような人と一生付き合っていくわけではありません。なんらかの接点があって今は一緒にいるかもしれませんが、人間は元来1人で生まれて1人で死んでいくものですので、いずれ離れていくことが前提です。そんな人との関係にいちいちストレス感じたくないと誰もが思うものです。

ですので、どうしても嫌だと思う人とは「一生付き合うわけではい」と心で念じながら付き合うことが一番です。

どうしても長期間に関係が及びそうだという場合だったり逃げ場がないときにはその関係を勇気を持って断つ時かもしれません。もしくは同じような境遇の人と悩みを共有するなどとにかく自分で抱えないことです。

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思い返してみるとわたしはわりと薄情なところがあるのかわかりませんが、もともと割り切って人間関係を極端に維持しないで生きてきました。

日本の中でも転勤で学校が変わったり海外でも国をまたいで転校などを繰り返してきたことからその場での友達こそ作って楽しいわけですが、やは。その場限りになることが多かったからかもしれません。なんとなく人間関係の維持が苦手なところがあるのと自分の興味が変わるたびに世界が変わるので切り替えがしみついてしまっています。

よく地元仲間が多い人や、よくつるんでいる仲間がいる人を羨ましく思ってしまうことがありますが、わたしは家族がいればあとはその場限りで周りと付き合っていくほうが最終的には自分としても心地よく感じると考えるようにして羨ましく思う感情は流すようにしています。

一期一会をもとに縁を大切にしながら一方で何事も永遠はないと考えるようにします。

Keiky.