ギブ&テイクや、貸し借りという言葉があります。
今日はそのギブ&テイクのテイク、貸し借りの借りの部分について禅の観点から考えてみたいと思います。
あんまりギブ&テイクとか貸し借りの考えが根深いと幸せにはなれないというのとについてです。
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■ 相手が得するのを許せない
何かをしたら何かを返す。みんな平等で誰かだけが得をするのは許せない。一人勝ちしている人や、他の人より多くもらったり、えこひいきされていたらアンフェア。
こう思う人は多いですし、実際にお互いギブ&テイクでなりたっている人間関係は多いです。仕事だけではなく、子供との約束も同じです。宿題をしたらお菓子食べて良いというような、報酬制度もある意味では交換条件なのでギブ&テイクということもいえます。
このギブ&テイクということについては世の中にギバー、テイカー、マッチャーの3タイプがいて、どんな違いがあるか別の記事に書いたのでよかったら読んでみてください。
とくに相手が得するのを許せないタイプはマッチャーに当てはまっていて、相手も自分も同じ量だけもらうことに執着しています。
貸し借りにかなり敏感な人も同じです。何かしてあげたら何かしてもらうということに執着していて、何かしてあげたんだから相手からも当然受け取る権利があるという前提を置いているので相手が得することを許していません。
今回のテーマはテイクの部分、つまりは見返りについて少し考えたいと思います。
■ 功徳とは見返り
功徳(くどく)という言葉はキリスト教の言葉でもあり仏教用語でもあります。
キリスト教神学用語では、ある善業を行うことによって得られる報償を受ける「権利」,またその報償,あるいはそれを得る道徳的善業のことと説明されています。
功徳というのは英語でmerit、メリットと訳されていることから何らかのメリットを得るために何か良いことをするという見返りを求めるという意味につながります。
キリスト教にもこれをよしとする考えもあれば、見返りはNGとする宗派もあります。
今度は仏教ではどう説明されているでしょうか。
功徳とは、現世・来世に幸福をもたらすもとになる善行。善根と説明されていまふ。神仏の恵み、御利益(ごりやく)という意味も含まれています。
仏教でもキリスト教でも功徳とは見返りを表しています。
■ 無功徳(むくどく)
禅の言葉に無功徳(むくどく)という言葉があります。
功徳というのは見返りであるということは説明をしましたが、それが無いということで、見返りを求めないという意味になります。
ギブ&テイクや貸し借りをとても重視している人は、 見返りや報酬を期待して人と接していることになりますが、そういった見返りや報酬を期待することなくたの人と向き合うこと。
そんな考え方が大切だと教えてくれる言葉です。
私もそういう人生がいいと思っています。あげてしまったこと、やってあげたことは終わった瞬間に忘れるようにします。
相手に何か見返りを求めるからストレスがたまります。
相手に期待をするから裏切られます。
そもそも何も期待せず、見返りも求めなければ自分がストレス感じたら、ほのことをずっと考えておく必要がありません。
何も期待しないと、逆に何かやってくれた時にうれしさ倍増です。
最初から期待していると、期待に応えてもらうことが当たり前になり、今度はさらにもっと求めてしまい欲深くなってしまいます。
クドクド言わずに無功徳でいきましょう。
keiky.