働き方 | キャリア

労働の捉え方と我が家の片働きのあり方について

働き方の変革という言葉が言われて久しいですし、女性の活躍とか多様性への理解など、僕たちの「労働」というものに対する考え方が徐々に変わっているように感じます。

我が家は2人目がうまれたときに同じ保育園に入れなかったこともあり、自分たちで選んで片働きをしています。そんな僕の会社でも働き方の概念が徐々に変化しつつあり、これからの働き方について考えさせられることが増えてきました。

今日はそんな僕たちの「労働」について古代から現代に向けて、どういった捉えられ方をしてきたのかということについて少し振り返ってみたいと思います。

Contents

■ 我が家の戦略的片働き

我が家は二人目が同じ保育園に入れなかった時に夫婦で相談をして一度妻が仕事を辞めて外に働きにでるのは私一人にして3年が経ちます。うちでは「戦略的片働き」と勝手に読んでいて、子供にとって自分たちが納得した子育てができるようにお金は多少厳しくとも安心した家庭環境を持たせてあげたいと思って決めました。

お金はいくらあっても足りることはないでしょうし、なければないなり工夫をするのも楽しいのでとても幸せに生活できています(ちなみに決して裕福な家庭ではありません)。2時に帰ってきて習い事をしたり放課後幼稚園の友達と遊んだり妻にはお世話になりっぱなしですが、おかげですくすく育ってくれてますし、僕自身も外に安心して働きに出ることができてます。お金はあとで稼げばいいけど今の子供を見られる時間は本当に「今」しかないと考えて戦略的に選んだ結果が今の状態になっています。

共働きして複数のお子さんを育てている方は本当に尊敬します。とても我が家にはできるようには思えず、私も妻も馬力がちょっと弱いので殺伐としてしまうはずです。お金はたまっていかないけど今の生活の方が良いと納得して生活しているのですが、僕の会社でも働き方が徐々に多様化していく気配を感じます。

むしろ多様性を受け入れない会社ほど、駆逐されてダメな会社になっていきそうな気がしていて、古い気質の僕の会社ですら、夜遅くまで飲み会で自腹で拘束されたり上司より早く帰ってはいけないというような暗黙のルールは消えつつあります。

労働が社会でどのようにとらえられてきたか少し振り返ってみたいと思います。

■ 歴史的な「労働」観

古代(5世紀)

生まれながらにして奴隷であったり、労働者階級としての労働という考えが根本にある時代だったと言えます。苦役としての労働だったり、何か悪いことをした時の罰としての労働

という考え方がメインだったので、働き方がどうだとかそういった考えは生まれるはずもなく、労働とはただ苦しいものと理解されていてなるべく回避した方が良いもの、一部の強制的に仕事をさせられる人のものだったのが古代です。

中世(5-14世紀)

次に中世に入ると、貨幣経済も浸透し、どちらかというと生活維持のための労働というような考え方に変わってきます。食べていくための生業といった言い方が良いかもしれません。モノを作り売ったり自分と自分の家族が食べていくために必要な労働をするという考えが支配的な価値観だったと想像します。

近世(15-17世紀)

近世に入ると、天職としての労働という概念が生まれ、ギルドというか何か手に職をもって一つの道を究めるような労働観が出てくる時代だったといえそうです。刀鍛冶だったり、建築士だったりある道のプロとして生計を立てる人たちが出てくる時代でもあるといえます。もちろんそれまでの中世的な食べるための労働というのはある中で、少し働き方が多様し、家業だったり職人というような仕事も生まれてきて少しずついろいろなタイプの労働が出てきたのが近世と言えるかもしれません。

近代(18-19世紀)

そして近代に入ると経営の色が強くなってきて、経営者と労働者の区分けがされるようになってきます。機械化によって人間が不要になったり、人間を機械を回すために使うような労働が強まり、ちょっと古代的なニュアンスに戻りつつも経済成長が一気に加速することで労働の需要も高まっている時代だったといえます。成功するための仕事という価値観も生まれてきて富裕層が生まれてきた時代ともいえます。そういう意味では私はサラリーマンとして近代的な働き方をまだ現代においてしているような気がします。ちょっとアップデートしないとまずいですね・・・。

現代(今)

現代の労働はより格差社会が広上がった時代と言えるかもしれません。株主至上市議だったり、ワーキングプア、社畜労働、サラリーマン的な労働などがコアの労働観となっている気がします。一方でこういった流れにあらがうように新しい働き方も生まれ、YouTuberやブロガーなど自己実現としての労働というものも生まれたりフリーランス、ノマドといったような概念も生まれてきました。また、営利追及よりも社会貢献としての労働

という概念も定着しつつあり、今まさに変化が訪れているような気がしています。

将来

落合陽一さんや堀江貴文さんのような方の書籍や、いろいろな未来予測などをみても将来の労働環境というのは大きく変わる可能性もありますし、テクノロジーの進化によって悲観論と楽観論の両方が入り混じっています。いくらテクノロジーが発達しても社会を支える3K的な労働は残る可能性が高いですし、僕らの肉体がこの世にある以上はそれを支えるインフラ(ビルだけではなくて様々なサービスも含む)を作るという意味での肉体労働がなくなるわけではありません。社会参加としての仕事(ベーシックインカムとか)、趣味・ゲームとしての労働などそういった新しい概念がどれだけ浸透するかというのはまだわからないことが多いのが現状です。

■さいごに

このように労働観というのは時代とともに、社会と共に変化をしてきています。そんな中、古い働き方が良いとか悪いとか、新しい働き方に全部かえないといけないというわけではありません。

僕の周りにも共働きもいれば、僕のように片働きもいればシングルで育てている人もいます。独身もいるし子供がいない家庭の人もいます。ようするに多様化を認めるということがより重要な時代になるということは間違いないということと、労働に対して「時間ではなくよりアウトプットで評価する時代」が来ることだけは間違いないと個人的に思ってます。

人が1週間かかってやる仕事を1日で出来るのであればその人は1日しか来なくていいはずです。もしくは他の仕事もやる代わりに給料を多く出す必要があります。長く務めたからとかそういった価値は薄れていくと思います。

ぼくらは忙しいわけですし、人生でやらないといけないことがたくさんあり、労働は生活の一部でしかありません。そういった価値観をまだまだ今の50代以上は理解できないでしょうが、いずれ変わります。

副業禁止をする権利はないはずですが、いまだに多くの会社では禁止にしていてその理由がうまく説明できていません。制度の方が労働者の二ーズにマッチしていないことが現れている現象だといっていいかもしれません。

これからどんな未来がくるかわかりませんが、自分と自分の子供たちが幸せにのびのび生活できる環境を整えるための労働。それがこれからも僕の働き方の基準であることは変わることはなさそうです。

Keiky.